母、元気取り戻す。
ほぼ1ヶ月ぶりの投稿です。
母が一ヶ月近く入院して家に戻ったのが8月1日。
家でワンオペで介護できるか、不安いっぱいで
先生にも無理せずほかの人の手を借りること。を念押されて帰って来た。
が、案ずるより思いのほか大丈夫で、一人での起き上がりも出来、
トイレこそ立ち上がり続けることが大変で、素早い介助が必要だが、なんとかベッドサイドに置いたポータブルトイレで、対処出来ている。
だから、
4月以前の気持ちの余裕で、対応出来ている。
下り坂にしか考えられなかったが、
逆にあの落ち方は何だったのだろう?とさえ思えてくる。
食事も毎回お粥ではあるが、ソコソコ食してくれているし、排泄も順調に行われている。
しかし高齢であるし、上り調子になる事はないだろうことは認識し
戻った事を喜び、前回の反省もしつつ必要な介助をすることで、現状維持できる事を願いたい。
介護する難しさ。
母は、8日から入院中。
それまでの全介護で、思いの外ダメージを受けていた。
これから、どうしていくかまだ定かではない。
寂しいのか?
しばらくブログ書いてなかったが、その間に母は立ち上がりも困難になってポータブルトイレや介護ベッドの手配をした。
介助する事に苦は感じていないのだが、息子に事の流れを話している途中、不意に感情が込み上げて来て涙が溢れおえつしてしまった。
何故?
私、母は嫌いではないけれど尊敬はしない。
父は一人っ子だった。
祖母が、嫁いでしばらくしてからの子だったらしい。
当然、ひとり息子への想いは溢れている。
反して母は、全てが生きていたら12人兄弟の真ん中くらいに誕生した人。
父との間に私達4人の子をもうけたから女としての幸せを感じて生きてきたと思う。
祖母は、昔の結婚の中にはあったように祖父との間の愛と言うより、ひとりの子である父への想いと、初めての孫である私を娘のごとく思って生きた。
可愛いがってくれるが、母への非難も私にぶつけた。
学校へ行くか行かないかの年端もいかない子供だった私だか、
それは母に言ってはいけない事のように思われ伝えずにいた。
祖母は生活全般にきちんとした人で、色んなことを教えられ躾られたと思う。
母は、整理整頓が出来ない。と言うよりすることすら知らずに育ったのかも?
祖母の元育った父には時々かんしゃくを起こされていたが、きちんとされる事はなかった。
父の愛に甘えて生きた。
私達姉妹も、祖母には教えられたとしても、母を見ているのでけっこう楽に走って生活していたが、結婚したりでやらなきゃいけないと、出来た。
祖母は愛情深い人だったが、時々不機嫌に感情を爆発させることがあった。
家の中がイヤな雰囲気になるのが堪え難かったが、収まるのを待ってるさ中、油を注ぐ発言をする母を「何で自分の想いだけで発するの?私は貴女に、イヤだと思うような事言ってないのに…」
と7才くらいの私が思っていた。
そんなだから母と言うよりも、妻だったと思う。
父が亡くなって、しばらくは誕生日が私は父の次の日なのだが、「父さんの誕生日だから赤飯炊いたから貴女も持って行きなさい。」
を私はネタのごとく人に話していた。
母は、「ありがとう」をほとんど言わない。
どんなであっても、「それが母だから」と思っていたのに。
少しは立てても、立ちたくないから立たない事もある事も。
協力してくれなきゃ一人じゃ身体を動かせない事も。
なんか、寂しくなったのかなぁー。
笑いながら、「ふざけるな!ふざけるな!」って涙流していた。
気分は、お つ か れ…様。
昨日は、妹の月一の精神神経科の受診日。
今回は、気分アゲアゲでの受診で話がしたい日。
私は基本、雑誌を眺めているスタイルを。
けど、そんな事はお構いなしで言葉が飛んでくる。
今は頭が回っているから、あー言えばこー言う
って際限なくなるし、弁がたつ子だから乗るとエキサイトしてくるから今の状態を助長することになる。
受け流して過ごそうとしているが
いかんせん、昨日はとても混んでいて
結局、終わって戻ったのが14:00くらいになった。
それまでずっと一緒。
それから急いで帰って、母に食事(と言ってもコンビニ調達)とトイレ。
どうやら冷蔵庫まで行って、アイス持って来て食べてたみたい。
意思がある時には動くのに、「トイレに行くよ。」には渋る。
なんだか、とても疲れた日。
人のつながりって。
妹の施設へ用があって行った時、
「あれ?何でここにいる?」って事が。
3月まで、お預かりしていた子のお母さん。
ハグした後、お互いの事情を確認し合ったら
最近、職に就いたとの事。
若いお母さんながら、3ヶ月くらいから時々お子さんを預けて働いていた。
一時預かりだから、事情など何一つ知らずにお子さんが2才になるまで関わりがあったお母さん。
元気で、ハッキリとしたい事が表現できる子で
悪さしたら、結構厳しく接したりしていたが
とても懐いていて、私がトイレなどで見えないと泣き出ししていたから(笑)
お母さんも信頼していたみたい。
こんな風にまた関わる事になるなんて。
今度は、妹の事よろしくお願い致します!
妹と病院へ。
昨日は、妹の肺の疾患の検査日でした。
8:30までに受付して下さい。
と言われていたので、間に合うように迎えに行き、検査の結果を待つ間
やはり気分が上がってきているので口数が多い。
「病院を変えたい。」事も言って来た。
それが不適切な事の説明して、「何故、そうしようと思ったのか?」を問うたら、「先生の私生活で良くない話を聞いたから。」と。
「貴女の病気の診察」と「先生の私生活」を
同列で考えるべきじゃない事。
赤十字病院🏥では、今の先生のように長年主治医であってくれないかも?と話してなんとか思い止める。
こう書くと、理解力に乏しい人に映るかもしれないが、
こんな風になる前は、管理栄養士の資格を持ち、高校の国語の先生であったときもある。
人と関わるのが好きで、ワイワイしている中に居たい妹なのだが、自分をアピールしたい方が勝って人の気持ちに無頓着になってたりだったみたい。
若い頃は、傍若無人なのも魅力的に映りたくさんの友人がいたらしい。
独身ながら上司として、家庭を持ってパートとして働く同世代の女性たちと一緒になった時、
仕事が出来なかった。
そしてその事が受け入れられなかった。
それまでも、うまくいかなかなったら辞めてた。
が、その時は上役の人と離れてたくなかったらしい。
彼の元で仕事を続けたかったようだが、出来ない。
何度も、「物事の考え方を変えてみたら?」のアドレスをするも、たとえそれが数時間であってもいつも、振り出しに戻る。
誰かれ構わず電話し、同じ事を繰り返した。
誰の話も耳に入らず、自分に都合の悪いことは周りが悪いと。
その内、気分が好転するようになる。
本人は、高揚しているのがいい状態。
と、やりたい放題だが目に余ると身内は苦言も呈するが、それが気にいらない。
家にじっとしている事が出来ず、
買いものにしょっちゅう出かけるようになって、「お客様」で、気分良く散財したり、
知らない人と関わり、騙されたりで数百万円無くした事を後で知った。
何度目かの入院時、ちょうど年金支給開始となったのを機に今の施設へ入所することに。
何度も、「出て一人で暮らす。」というが
もう何年も自分の事が出来てない事を認識してない。
老後の資金の管理が出来ない。と困るは、貴女でしょ。
不本意でもここは任せて。